2015年9月分
8月後半ぐらいから咲き出す富貴蘭「朝日殿」×ボウランの当園交配種「市女笠」の花です。
香りはありませんが、ボウランの香りは芳香とは言えず、かえって良かった面もあります。
ごくまれに弱い香りを出す個体があります。
・ 2015.9.14 植物と日本の家紋
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2015.9.14 植物と日本の家紋
炎暑の夏も過ぎ、植物の多くも充実の秋、実りの秋を迎えています。
田を見れば十分に成長した稲は稲穂を出し始めています。
花咲Jは相変わらず園芸作業に明け暮れています。
園芸こそ平和な世の中でできるものであり、日本の歴史を見れば世界の国々でも例のない江戸時代260年に渡り戦争のなかった当時の日本はそれこそ平和というものでした。
江戸時代に庶民の間にまで広がった園芸は、当時の世界先進国のどの国にもない現象であり、文化であったと言われています。
戦争になって戦火が及べば、とても園芸どころではありません。
近年の戦争はハイテク化され、アメリカの基地に居て地球の裏側上空1万メートル以上の高度に無人飛行機を飛ばし、無人機のカメラ映像で映し出された人物の動き、装備などから敵か一般人かを判断し、ミサイルで標的をそらすことなくせん滅する。
いずれはロボットが市街の中に潜入している敵を見つけ出して殺すようなことになるのでしょう。
今のところ攻撃国には直接の戦火は及ばないのですが、いずれはテロとなって報復されるという連鎖反応になると思います。
この先、世界各地の争いはますます混沌としていくと思いますが、どの国も平和であってもらいたいと願わずにはいられません。
平和でこそできる園芸のうち古典園芸植物と言われるものに昔から興味を持つJは、江戸時代の園芸事情に特に興味をそそられます。
人間が生きていく上で必要なものならともかく、有用植物ではない古典園芸植物が今の物質文明にほど遠い江戸時代に何故庶民にまで流行したのでしょう。
それが日本独特の発展をしたことも面白い現象です。
鉢植えの広まりは、一軒一軒が広大な敷地(庭園)を持てない日本だったからなのでしょうが、そういう国は日本だけでなく世界の各地にあると思います。
今でこそ外国の都市の写真に石造りの窓辺に飾られた鉢花が見られますが、江戸時代に日本に来た外国人が市中の家々に置かれている植木鉢を見て驚いたという記録があるそうです。
先日、家康のあっぱれな植物知識という副題のついた「徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか」という稲垣栄洋農学博士の著した本(難しい内容の本ではありません。)を読み、日本の家紋の多くが植物に関わることを知りました。
当家の家紋は直系先祖が代々続く家ではなく、父が購入した墓地の墓石に当家の家紋が刻まれています。
父母の存命中に聞いておくべきでしたが、そもそも家紋に全く興味がなく、何故その家紋なのか今となっては知る由もありません。
ヨーロッパでは王族や貴族に家紋のような紋章があるのですが、ほとんどすべての家々に家紋があるのは日本くらいのもののようです。
ヨーロッパ等では勇ましい鳥獣等がモチーフになったものが多いのに対して、日本は植物の占める割合が多いようです。
植物の中でも華麗な花木ではなく、当時の田畑にもあったとされる雑草や下草が題材のものがたくさんあります。
家紋は平安時代に貴族が用いたのが始まりで武士に広がったということです。
戦場で敵味方を判別するのに用いられ、後の織田信長は鳥の巣をかたどったと言われる木瓜紋(もっこうもんと読むが、キュウリ「木瓜」の切り口に似ていることから木瓜紋と呼ばれたそうです。)、秀吉は桐紋、家康は葵紋を用いました。
植物との関わりは、戦国時代の武将であれば、当時の衣食住のほとんど全てを支えた植物に精通しなければ生き残れなかったということがあるようです。
当時の植物は食糧、衣服、建築材料から医薬、火薬の原料まで使われていました。
日本の貨幣ができる元が穀物の量であったことも、恥ずかしながらこの本によって知りました。
そういう大事な有用植物に対して、全く困りものの田畑の雑草と言われるものまでがどうして武家の家紋に使われたのか、言われてみれば興味深いものです。
同書によれば、それは植物の性質が家督の継続と結びつけて連想したということであり、日本人の細やかな観察眼と感性によって好まれたように思います。
困りものの雑草が持つ困りものである由縁、例えば昔は農家、今は園芸家を困らせる雑草キングのカタバミは、抜いても抜いても種を自らの力で弾き飛ばし、種を残して広がっていくしぶとさに子孫繁栄の願いを重ねたということです。
同じく繁茂して困るようなクズやぺんぺん草と言われるナズナ、オオバコ、オモダカ、タンポポなどが戦国時代に生きた武将の家紋の題材になっています。
人間からみると困るような性質を逆に見て、良い方に解釈しているのが面白いと思います。
農家にとって田畑の雑草は、作物を食べる昆虫とともに敵ですが、彼らから見れば種を絶やさぬよう必死に生きている訳です。
一部の種類では、そんなに辺り一面を征服するほど増えなくてもいいのにと思うことはあります。
現代の都市には住宅敷地内にも雑草はあまりなく、農家以外の人々は雑草をまざまざと見る人もなくなりました。
江戸時代の黄門様のように家紋が威力を持ち続けるのも問題ですが、家紋が必要であった時代から遠く離れた今、家紋も意味のないものになりつつあるようです。
たまたま先日、机の引き出しを整理していて葬儀社の発行した家紋集を見つけ、稲垣博士の本を読んだ後であったため改めて見直しました。
植物を図案化した古人のデザイン力に感心しましたが、インターネットによると日本の家紋はヨーロッパ等でもデザイナー等に高い評価があるということです。
植物の図案化は動物等に比較してデザインしやすいことはありますが、日本人にとっては他の想いがあったということが興味深い発見でした。
江戸の市中ではありませんが、Jも行く先々の市内のあちこちで、いくつかの植木鉢を道路沿いに並べてある風景を見るとなぜか嬉しくなります。
本当は近寄って何が植えてあるのか、栽培状況から所有者の顔や考え方、楽しみ方を想像したくなるという、おせっかいな気持ちがわいてきます。
花だより6月分で鬼の首でも取ったようにアップした自給自足のトマトですが、その後、畑に定植してからしばらくして花がたくさん咲きました。
さらに喜んで実がなるのを期待していたのですが、咲くのは花ばかりで未だに実一つなりません。
高度に品種改良された交配又はバイオ技術が加えられた苗から実った実だったため、その実生からは実がならないのでしょうか。
こんなことなら種を買ってきて蒔けば良かったと・・花咲じいさんの足元にはまだまだ及べません。
結果として、その対立するじいさんを演じた次第です。
フウラン×ナゴランの当園交配種です。
25年以上前に交配し、記憶は定かではありませんが、富貴蘭縞物は使っていないと思います。
数十株がありますが、今年初めて縞が出ているのを発見しました。
縞は今後どう変化するか分かりません。
縞が消えてしまうこともありますが、幅の広い葉であるため良い縞になることを期待します。
こちらも20年以上前に細葉尢磨u司天竜」として購入した株です。
その後は植え替えしたりしなかったりで一向に増殖せず、枯れたものが多くあります。
たまに咲く花は派手ではありませんが、芳香は秀でています。